松井稼は不振の先頭打者に代わり、約3カ月ぶり今季7度目の「1番」で出場した。三回には今季初の三塁打。右ふともも痛によるDL明けから間もないため、「あそこまで走れるといい。自分の持ち味はスピード。積極的に走りたい」。守備でも八回、中前打性の打球を好捕して一塁へ好返球。PL学園で2学年後輩にあたる福留に先輩の意地をみせた。チームは、ナ中地区1位のカブスに2−1でサヨナラ勝ちし、12ゲーム差とした。
手術を避け、今季中の復帰にこだわり続けてきた。しかし、チームの方針は手術に傾き、松井も16日には「戻りたい気持ちはあるし、それに向かって頑張りたいとは思う。でも無理な場合は仕方ない」と心境に変化が出てきていた。
チームは松井抜きの戦いを想定した補強に動いている。前日までにDH&一塁候補として、マリナーズを解雇されたリッチー・セクソン内野手(33)と合意。この日に同内野手の代わりにメジャー40人枠を外れる選手が決まれば、加入が正式発表される。

日本人メジャーリーガーのパイオニア。成城工高では甲子園出場はなし。卒業後、新日鉄堺に入社し、都市対抗などで活躍する。1988年、古田敦也(現ヤクルト)、野村謙二郎(元広島)、潮崎哲也(元西武)らと、ソウル五輪に日本代表として出場し、銀メダル獲得の原動力となる。89年のドラフト会議で当時史上最多の8球団から指名を受け、近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)に入団。投げる際に体を大きくひねる独特の「トルネード投法」から繰り出される速球とキレのいいフォークで、1年目から活躍。MVP、新人王、最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率、最多奪三振、沢村賞、ベストナインなど、タイトルを総ナメにする。
4年連続最多勝と最多奪三振を獲得するなど、日本球界ナンバーワン投手として5年間で78勝を記録。そして95年、アメリカに渡り、ドジャースに入団した。日本人2人目のメジャーリーガーとして先発ローテーションに入ると、1年目から13勝を記録。オールスターの先発を経験するなど、米国に「トルネード旋風」を巻き起こし、ナ・リーグ新人王と最多奪三振のタイトルを獲得した。2年目には、無安打無得点試合を達成。その後、メッツ、カブス、ブルワーズ、タイガース、レッドソックスと渡り歩いた。
2001年に在籍したレッドソックスでは、自身2度目の無安打無得点試合を記録。さらに6年ぶりに奪三振王のタイトルも獲得した。同年オフ、日本人として初めてのフリーエージェント(FA)選手となり、4年ぶりにドジャースに復帰。2年連続16勝を挙げるなど、ローテーションの柱としてチームをけん引した。
04年、2年連続の開幕投手としてスタートを切ったが、開幕戦を落とし、4月は3勝2敗、防御率6点台と安定感に欠けた。その後も勝ち星を挙げられず、夏場にはローテーションから外れる。結局、4勝11敗、防御率8.25と不本意なシーズンとなった。05年6月16日、ブルワーズ戦で日米通算200勝の快挙達成。しかし、その後は度重なる先発失敗が響き、デビルレイズを解雇された。
06、07年は右ひじの手術を経てリハビリ、またウインターリーグでの調整登板を行い、再びメジャー昇格へ照準を合わせてきた。07年のスプリングトレーニングでは、ロイヤルズの招待選手としてキャンプに参加。右足付け根の故障により開幕メジャー入りは逃したものの、4月5日に中継ぎ要員として昇格を果たした。
08年には3年ぶりのメジャー登板を果たし再起を懸けたが、中継ぎとして3試合で4回1/3を投げて3本塁打を含む10安打9失点、防御率18.69と思うような結果を出せず、ロイヤルズを戦力外通告。ウエーバー公示期間中に獲得球団が名乗り出なかったため、日本時間4月30日に自由契約選手となり、7月17日に現役引退の意思を表明した。
例えば、「9・11」。
多くの人は、その惨劇をどこでどう見ていたか。それをあたかも、きのうのことのように思い出すことができるはずだ。
個人的に2001年5月2日は、そんな日の一つ。
当時レッドソックスで投げていた野茂英雄が、マリナーズでデビューしたばかりのイチローと対戦。5回裏、3度目の対決では、野茂のストレートがイチローの背中に当たった。
5月2日と言われても、「?」かも知れないが、野茂とイチローがメジャーで初対決した日で、「ああ」と思い当たる人も多いはず。
そのとき自分は、地元FOXスポーツのスタジオにいた。地元局が、投打のパイオニアの対決をどう伝えるのか。その取材をしていたのだ。
彼らとともに、7時頃から夕食を済ませ、スタジオのテレビモニターで試合観戦。試合も半ばとなったところで、まさに「ドシン」。
顔をゆがめるイチローに、アンカーの一人、ビル・ウィキシー氏は「これは、国際的な事件じゃないのか」と、真顔で言った。
「これで、このシーンが確実に日本の新聞の1面だろう」と話していたのは、もう一人のアンカー、トム・グラスゴウ氏で、彼は今でもマリナーズ戦のラジオのプレゲームショーを『KOMOラジオ』で担当しており、当時のことを聞けば、やはり覚えていた。
「衝撃的だったなあ。いろんな意味で。こちらも対決を注目している中での死球は想定外だったから」
そのグラスゴウ氏は、「あの年、確か野茂はノーヒットノーランもやったんじゃなかったっけ?」と言う。
その通りである。野茂はレッドソックスでのデビュー戦、4月4日(現地時間)のオリオールズ戦で、史上4人目となる両リーグでのノーヒットノーランを達成している。
彼は改めて振り返った。
「投手として復活を果たした野茂と、4月からこちらの想像を超える活躍を続けていたイチロー。報道に携わったものなら、忘れられるはずがない」
同紙は先日、イチローについて「シングルヒットしか打てない」とチームへの貢献度を疑問視するジム・ムーア記者の記事を掲載。同記者は、自分が最高経営責任者ならばGMに放出を指示すると、イチロー不要論を展開していた。
なお投票は、約1200票が集まった日本時間19日午前10時の時点で、イチロー放出に賛成する意見が約38%。反対が62%となっており、現在のところは約6割のファンが、イチローを手放すべきでないとの意向を示している。
試合は1点を争う投手戦となった。ヤンキースが2回にカブレラのタイムリーヒットで1点を先取。6回にはガードナーの犠牲フライで1点を追加しリードを広げたヤンキースだったが、9回に守護神リベラが1点を返されるとなおも無死満塁のピンチ。しかし、リベラは踏ん張ってリードを守り、今季23セーブ目をマーク。また、ヤンキースのベテラン右腕、先発ムシーナは6回を4安打無失点の好投で11勝目(6敗)を挙げた。
福留4の0、カブス逆転サヨナラ負け
7月6日8時23分配信 日刊スポーツ
<カージナルス5−4カブス>◇5日(日本時間6日)◇ブッシュスタジアム
カブス福留孝介外野手(31)は「2番右翼」で先発出場。4打数無安打1四球だった。第1打席から三振、二ゴロ、一ゴロ、二ゴロ、四球。打率は2割8分5厘に下がった。
カブスは4−2で迎えた9回裏、抑えのウッドが登板。しかし2四球と二塁打で1点を返され、なおも2死満塁からアンキールに逆転の2点適時打を喫し、サヨナラ負けした。2位カ−ジナルスとの差は2・5ゲームに縮まった。
マリナーズのイチローはパドレス戦で無安打に終わり、打率は2割8分6厘。ドジャースの斎藤はエンゼルス戦で12セーブ目。チームは無安打ながら1−0で勝った。
ヤンキースの松井秀らが故障者リスト入りしているため、日本選手の出場は3人にとどまった。
レイズの岩村は3試合の出場停止がスタート。前日昇格したヤンキースの井川は、わずか1日でマイナーに降格した。
1試合5安打は昨年5月15日以来で7度目。内訳は中前打3本、左前打と右前打が各1本。城島は出場しなかった。
レッドソックスの岡島はアストロズ戦で同点の八回一死一塁で救援、暴投と中前打で勝ち越された。勝敗は付かず、チームは2−3で敗れた。
フィリーズの田口はレンジャーズ戦の先発を外れた。カブスの福留はホワイトソックス戦に「1番・右翼」で出場、第2打席で内野安打した。(共同)
不振に苦しむ6月。敵地の大歓声が突き刺さる。岡島が、この日も期待に応えられなかった。「彼にとってフラストレーションのたまる時期だろう」とレ軍のテリー・フランコナ監督(49)も渋い表情だ。
同点の八回一死一塁から登板。ワンバウンドした低めのカーブをジェーソン・バリテック捕手(36)が後方に弾く(記録は暴投)などで二死二塁とされ、代打のマーク・ロレッタ内野手(36)に落ちなかったチェンジアップを中前に運ばれた。これが決勝打となり、チームは6月3日以来の2位に転落、レイズに首位を明け渡した。メジャー通算100試合目の節目の登板は、苦いものとなった。
今季、5月までは23試合で防御率0.72だったが、左手首痛や体調不良の影響で6月の月間防御率は9.64(11試合)。しかも、走者を背負った場面からの登板では、これまで15走者のうち12人の生還を許している。
悔しさを押し殺した岡島は「ノーコメントです」とだけ言って球場をあとにした。フランコナ監督は「それでもわれわれは岡島の力が必要」と擁護したが…。30日(同7月1日)からは首位レイズとの3連戦。岡島もチームも前半戦の正念場を迎える。
なぜ両打席で打つ必要があるのかと言えば、基本的には自分の背中の方からくるボールは視認しにくく、差し込まれるように感じるからで、左打者に左投手をぶつける、といったことはよくある戦略なのだが、両打ちであれば、左投手に対する際には右打席に立てば、ボールをよりしっかりと呼び込めるというわけだ。
対して、スイッチピッチャーとは、スイッチヒッターにおけるロジックをそのまま援用すればよい。すなわち、両方の手で球を投げることができる投手のことだ。
ただでさえ珍しいスイッチヒッターに比べても、比べ物にならないほどに圧倒的な希少品種であるスイッチピッチャーだが、日本のプロ野球史上においても、南海・福岡ダイエーホークスと阪神タイガースでプレーした近田豊年がいる。とはいえ、彼は一軍では一度も両投げを披露することなく引退したため、日本プロ野球の公式戦において、両投げが記録されたことは一度もなかった。
より歴史の古いメジャーリーグにおいては、20世紀以降、唯一グレッグ・ハリスが公式戦で左右双方の手で投球を披露している。ちなみに19世紀には、トニー・マレーン、ラリー・コーコラン、エルトン・チェンバレンの3人が両投げをしたという記録が残っているが、この時代はグラブをつけずに(両投げをする場合には、左右どちらの手にもはめられる特注のグラブが必要となる)投球する選手も多かったため、3人もの(それでも充分少ないと言われればそれまでながら)両投げ投手が誕生したのではないかと考えられている。
さて、前置きと説明が長くなってしまったが、ここでようやく本稿の主役である、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキース傘下の1Aスタテンアイランドに所属する新人投手、パット・ベンディットの登場だ。そう、彼はスイッチピッチャーなのだ。
日本のミズノの特注グラブを手にはめて、デビュー戦のマウンドを踏んだベンディット。それだけでも充分にニュースバリューはあるのだが、しかし彼のニュースが全米を駆け巡った背景には、もう1人の役者の存在が大きい。
ここまで書けば、最早話の流れは自明の理ではあろう、彼はここで、スイッチヒッターとの対戦を果たしたのだ。
そこで問題になるのが、どちらが先に己のスタンスを表明するかである。
メジャーリーグの規則では、1打席中に打者および投手が、打席や投球する手の左右をかえられるのは1度だけとある。すなわち、例えばベンディットが先に左投げを宣したとすると、当然打者は右打席に立ち、ベンディットも右投げにグラブをはめかえる。そして打者が左打席にチェンジすれば、ここで双方待ったなしとなるわけだ。
要するに、勝負の決まった後出しじゃんけんなのである。
今回のケースでは、主審が打者に先に打席を決めさせ、右打席対右投げの対決で、見事ベンディットは三振を奪ったのだが、とはいえこの問題が、早急にルールの精査を必要とすることは明白だ。
日本の近田の場合は、投球する際に投手が投げる手を宣言することが申し合わされたのだが、それにしても、たとえば日本シリーズのような重大な試合において、近田とスイッチヒッターが対戦するようなことが起きていたなら、相当な議論を巻き起こしていたであろうことは想像に難くない。
願わくば、誰しもが納得のいく形で議論がまとまり、ベンディットが見事メジャー昇格を果たし、松井稼頭央の所属するヒューストン・アストロズとヤンキースが対戦するシーンを是非とも見たいものだが、果たして―。


