
日本人メジャーリーガーのパイオニア。成城工高では甲子園出場はなし。卒業後、新日鉄堺に入社し、都市対抗などで活躍する。1988年、古田敦也(現ヤクルト)、野村謙二郎(元広島)、潮崎哲也(元西武)らと、ソウル五輪に日本代表として出場し、銀メダル獲得の原動力となる。89年のドラフト会議で当時史上最多の8球団から指名を受け、近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)に入団。投げる際に体を大きくひねる独特の「トルネード投法」から繰り出される速球とキレのいいフォークで、1年目から活躍。MVP、新人王、最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率、最多奪三振、沢村賞、ベストナインなど、タイトルを総ナメにする。
4年連続最多勝と最多奪三振を獲得するなど、日本球界ナンバーワン投手として5年間で78勝を記録。そして95年、アメリカに渡り、ドジャースに入団した。日本人2人目のメジャーリーガーとして先発ローテーションに入ると、1年目から13勝を記録。オールスターの先発を経験するなど、米国に「トルネード旋風」を巻き起こし、ナ・リーグ新人王と最多奪三振のタイトルを獲得した。2年目には、無安打無得点試合を達成。その後、メッツ、カブス、ブルワーズ、タイガース、レッドソックスと渡り歩いた。
2001年に在籍したレッドソックスでは、自身2度目の無安打無得点試合を記録。さらに6年ぶりに奪三振王のタイトルも獲得した。同年オフ、日本人として初めてのフリーエージェント(FA)選手となり、4年ぶりにドジャースに復帰。2年連続16勝を挙げるなど、ローテーションの柱としてチームをけん引した。
04年、2年連続の開幕投手としてスタートを切ったが、開幕戦を落とし、4月は3勝2敗、防御率6点台と安定感に欠けた。その後も勝ち星を挙げられず、夏場にはローテーションから外れる。結局、4勝11敗、防御率8.25と不本意なシーズンとなった。05年6月16日、ブルワーズ戦で日米通算200勝の快挙達成。しかし、その後は度重なる先発失敗が響き、デビルレイズを解雇された。
06、07年は右ひじの手術を経てリハビリ、またウインターリーグでの調整登板を行い、再びメジャー昇格へ照準を合わせてきた。07年のスプリングトレーニングでは、ロイヤルズの招待選手としてキャンプに参加。右足付け根の故障により開幕メジャー入りは逃したものの、4月5日に中継ぎ要員として昇格を果たした。
08年には3年ぶりのメジャー登板を果たし再起を懸けたが、中継ぎとして3試合で4回1/3を投げて3本塁打を含む10安打9失点、防御率18.69と思うような結果を出せず、ロイヤルズを戦力外通告。ウエーバー公示期間中に獲得球団が名乗り出なかったため、日本時間4月30日に自由契約選手となり、7月17日に現役引退の意思を表明した。
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